口先の真実

素人文章書きのずるずる日常。

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母論

今日、またいつものようにとても些細なことで母と言い合いになった。
たしか、食器かごに入っていた、ラーメンを食べた形跡らしい鍋を布巾で拭こうとしたら、底の方にまだ麺の跡がついていたので、それは弟が作って洗った物だと思っていた私は

「まだ汚れてるよ!」

と指摘したところ、母が

「それは私です」

というので、

「ちゃんと洗ってよねー」

とごく普通に言ったところ、

「まだ洗い途中だったの! なんでそうやって責め立てるの! 私は傷ついたんだからそれ以上言わなくていいでしょう! お前は傷ついたことがないから解らないかもしれないけど、私は傷つくんだからね!」

とまたよく分からないところで怒り出してしまったのです。
最近母は私の言うことにすごく敏感に反応するので、私はもうそれにまともに取り合うのを辞めました。
いちいち気にしていると本当に消耗するからです。
そもそも鍋は食器かご(洗った後に水切りのために入れるかご)に入っていたわけで、途中な訳はないと思うのですが、母や父は食器かごに洗った野菜とか平気で入れるので(私はちょっと嫌)、もしかしたらそういうこともあるのかもしれません。
それから、自覚してないだけで私が本当に傷つけるようなことを言ったのかもしれず、私が悪いのかもしれません。

でも、それでもめんどくさいので、放置します。
こうなるとぐちぐちずっと同じ事について文句を言い続け、私は不快な思いをし続けるので、こうなったときはもう母をいない物として扱います。

でも今日は、「お前は傷ついたことないんだから」という言葉に私もとても腹が立ちました。
とてもとても腹が立ちました。

傷ついたことがない?
なんでそんなこと堂々と言えるんだろう?
一回も私を、傷つけたことがないって?

ああ、本当にこの人は無自覚に娘を傷つける人です。
人の痛みに鈍感で、自分の痛みにだけ敏感で、自己中心的。

「私はお母さんに、前に言われたことしか返してないよ。言われたことあることしか言ってない」
「私はそんなこと言ったことないからね!!」
「いや、言ったよ……ああ、もういいや……」

思い出すのもめんどくさい。
反論するのもめんどくさい。
めんどくさいというか、言ったことを証明できないし、改めて言うのもどうかと思うくらい、人から見れば小さな事かもしれないし。
いやホントめんどくさい。
思い出すのも不快だし。

「私は過去のことを言うときは、『あの時あなたはこう言った』って言う! いつ私が傷つけたの! そんなこと言ったことない!」
「もういい。めんどくさい」
「子供の時にお誕生日会に行かせなかったことくらいだよ! 私が傷つけたのは!」

はあ? なんだっけ誕生会って……
……ああ、こないだようやく打ち明けた、「本当は友達の誕生会に行きたかった」ってやつか。
(一回誕生会に行くとこっちも呼ばなきゃいけないし、親同士のつきあいも面倒だということで行くことを許可して貰えなかった小学3年生くらいのころのこと)
(今なら行かせたくない意味も分かるけど、当時は行きたいと思ってたよ、とこないだ話した)
(正直あれで、ちょっとヤンチャなグループに馴染んでたら、いじめられなかったし、クラスで浮いた感じもしなかったろうし、なんだかんだ恋愛がステータスみたいなマインドに呑まれて普通に結婚出来たんじゃないかという妙な確信がある)
(でも別にそうならなかったことについては、それでもいいと思ってる)
あんなの傷つけたうちに入らないよ……。

「そんなことじゃないよ。いろいろあるよ。もういいけど」
「なに! 言ってごらん! ないんでしょ!」

本当にまともに取り合うとろくな事にならない。
これで会話は打ち切りです。

でも、いろいろあるよ傷ついたこと。
思い出すと今でも悔しかったり哀しかったりむかついたりするから、思い出したくないんだよ。

腹が立つこと、イライラすること、どこかに書き付けておきたかったんだけど、適当な媒体が見つからなかったので、とりあえずブログに書いてみることにしました。
私だって傷ついたんだって、私だけは覚えておきたい。
人にはくだらないことかもしれないけど。
私の思い込みで記憶違いかもしれないけど。
それでも。*



私は母が嫌いだと思う。
なんどか家族が死ぬところを想像するんだけど、やっぱり一個も泣けない気がする。
泣くだろうと思ってた祖母の時も、なんだかちゃんと泣けた気がしなかったから、母や父、弟の時も、本当に悲しくて泣けるか解らない。

私は自分の感情が、特にプラスの感情が、なんだか信じられない。
本当にそう感じてるのか、自分で自信が持てない。
プラスの感情は、全部記号的で、「人として当然の反応を反射的に返している」だけの気がする。
だから、基本的に愛とか慈しみとか仲が良いとか人のことを思うとか、本当に理解しているか怪しい。

その原因を全部母に求めるのは、これはある意味甘えだろうし、都合良く解釈してるだけのような気もしているけど、でもやっぱり大きく影響しているような気がする。

だって嬉しいと感じているのがばれたら、嗤われるんだ。
馬鹿にされるんだ。
私はたぶん、世の中の出来事で、私を嘲られるのが一番一番嫌いだ。
だから、私は防衛のために、本当の感情を殺してしまいたいとずっと思って、今それが半分成功しているんだと思う。


・自由研究の話
小学校で初めて自由研究をすることになったとき。
小学校1年生の夏休み。私のころは自由研究か工作を選ぶことができたように記憶している。
(今もそうかな?)
当時から私はものぐさだったので、工作して終わらせればいいなーと思っていたような気がする。
でも、結局自由研究をすることになった。
母がそう誘導したような記憶。
「自由研究やらなきゃいけないでしょ?」「あれと、これと、このテーマがあるけどどれがいい?」
私は正直自由研究ってどういう事をすればいいか解らなかったので、やりたくなかった。
でも、どれか選ばないといけないようだったので、私は「アリ」について調べることにした。

……とはいえ、「選ばされた」題材なので、何か思いつくわけでもなく、アリが何を好むのか、という無難なテーマに落ち着いた。
砂糖、塩、肝油……を用意したのは覚えている。
どれに一番アリが集るか、時間ごとに観察して、記録した。

データを収集して、大判用紙に纏める段階で、私は壁にぶつかった。
母に、まず「動機」を書けと言われたのだ。
私はまず「動機」の意味が分からなかった。

「どうき、ってなに?」
「それを調べようと思ったきっかけってこと」

その説明を聞いても、私はピンとこなかった。
調べようと思ったきっかけもなにも、私は母に調べなさいと言われて調べ始めたのだ。
なぜアリにしたのかと言われても、観察するだけで楽そうだから、と言う理由だった気がする。
とにかく、動機が書けない。
どういう事を書けばいいのか、さっぱりわからない。

いつまでもぐずぐずと取りかからない私に、母は怒った。

「いつまでそうやってるの! 終わらないよ! 夏休み終わっちゃうよ!」

そう言われても、分からないものは分からないし、書けないものは書けないんである。
どうしていいか解らなかった私はそこで泣いた。
当時はよく泣く子供だった。

見かねて母は、動機の原稿を別の紙に書いた。
それを写せということだった。
まず鉛筆での下書きにとりかかる。

「字が小さい!」

ぴしゃりと言われた。
自分なりに大きく書こうと努力したが、それでも小さいと言われる。
またまた見かねて、母が全部(動機やら予想やら結果やら全部)の原稿を大判用紙に鉛筆で書いた。
もう、母の研究になっていた。

私はこのとき困っていた。
これはズルじゃないのかと思っていたからだ。
しかし書き終わった母は私に言った。

「あとは全部マジックでなぞりなさい」

ズルだという気持ちがぬぐえない私は、マジックでなぞるのをためらっていた。

「なんでなぞるだけなのに出来ないの!」

母が怒るので、私は仕方なくその原稿をマジックでなぞった。
すごくすごく不本意だった。
だから、内容はよく覚えていない。

現役の小学校の教師が作った研究は、それはそれは小学校の教師受けがよかった。
後にその自由研究は、市の研究発表会に選ばれて、他校で選抜された子供達と発表し合うことになった。
表彰状ももらった。
大判用紙はどこだかに飾られた。
自分でやったわけではないのだが、よくできたよくできたと周りに褒められたので嬉しくなった。
でも、ずっとアレは私の研究ではないと思っている。

・「ア」の話
小学校3年か4年のとき。
担任の男の先生が家庭訪問に来たとき。
一通り話し終わった後、おもむろに私のテストか何かを取り出して、先生は私に注意をするように言った。

「お前の『ア』の字はおかしい。最初読めなかったぞ。感じの了かと思った」

私はそのころ結構なくせ字だったらしく、アの字は上の『フ』と下の『ノ』の部分を一度も離さず繋げて書くのが癖だった。
その字を見て母は笑った。

「ホントにねえ、なんの字かと思った! こんな汚い字書いて恥ずかしい」

本当に恥ずかしかった。
今度から「ア」だけは丁寧に書こうと思った。
同時に、母には字を見て欲しくないと思った。
母はペン習字だかなんだかをやっていて、確かに字が上手い。
でも、私は絶対にペン習字なんかやらないと思った。
やり始めたら、絶対練習の途中に母に見られて、馬鹿にされたり嗤われたりするのだ。
絶対にそれだけは嫌だった。

・読書感想画の話
小学校5年のとき、夏休みの課題として自由研究か読書感想画か工作を選べるようになった、ように記憶している。
そのころにはもう自由研究は嫌だと言えるようになっていたので、読書感想画を選択した。
読んだ本のシーンを選んで、下絵を描きはじめると、鉛筆を奪われた。

「身体のつくりはこうじゃなくて、こうなってこうなって……」

色を塗り始めると、筆を奪われた。

「人の髪は黒一色じゃなくて、いろんな色が混ざってるの。茶色とか紫とか……」

結局、また私の作品ではなくなってしまった。
これもまたなんかの賞に選ばれた気がするが、私の絵ではないのでもう興味も沸かなかった。

・恋愛の話
小学校の時、他愛もない恋愛の話がよく話題になった。
私は当時から好きとか嫌いとかよく分からず、適当に周りに会わせることでやり過ごしていた。
今で思えば大変申し訳ないけど、別に好きでない人を好きな人として挙げ、「普通の子」を装っていた。
それが普通だという世界のままでいたら、私はたぶん恋愛っぽい経緯を経て結婚とか普通に出来てたかもしれない、と思っている。

どうやら学校で私が「好きな人」としている人が母にばれた。
その人がどこどこに住んでいて、どういう子で、今日そこであったよ、とか、どうでもいい事で茶化してくる。
すごく嬉しそうに茶化してくる。
それがすごくすごく不快だった。

これは弟もそうみたい。

私は恋愛が出来ないと思うと告げた。
結婚もたぶんしないと告げた。
それでも、今でも母は私が普通の恋愛をして結婚をすることを望んでいる。
私は半ば当てつけで、結婚しないと言っている節があるのかもしれない。
私は絶対に過度に人の恋愛を茶化さないと決めた。


・頭痛の話
小学校時代。
私は頭が痛くて保健室に寝かせてもらっていた。
立ち上がるのも痛くて、でも寝ているのも痛くて、痛くて痛くて、いつの間にか気絶したように寝ていたように思う。
目が覚めると、保健の先生が母を呼んでいた。
眠ったからか、頭痛が軽くなっていて、早退できるのがちょっと嬉しくて、私はすこしはしゃいだ。
そのはしゃいだ姿を見て母がニヤニヤしながら言った。

「そんなに元気なんて、仮病なんじゃないの?」

私はそのまま学校に残りたくなった。


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2015.02.14[Sat] Post 02:03  CO:0  TB:0  日々  Top▲

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